2025年の大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』が遂に放送開始!
待ちに待った第1話では、主人公・蔦屋重三郎の幼少期から物語がスタートしました。
江戸時代の吉原遊郭が舞台として描かれています。
第一話から視聴者の心をとめる場面があり、これからの期待がもてる内容でしたね。
この記事では、第1話のストーリーを振り返りながら、吉原の闇についてドラマの注目ポイントをおさらいしていきます。
【吉原の闇①】遊女の逃亡防止‼出入口は大門のみ
2025年大河ドラマ『べらぼう』の始まりは、吉原が火事になり大勢の人が逃げだしている騒然とした場面から始まりました。
この火事は、1772年に起こった「明和の大火」といわれ、およそ1万5千人が命を落としたと伝えられています。
大門
吉原は東京ドーム2つ分くらいの広さと推測されていて、そこには大門よばれる出入り口1つだけありました。
お歯黒どぶ
吉原の周りはお歯黒どぶとよばれる四方を取り囲んでいたどぶがあり、お歯黒どぶには、5間(約9m)もの幅があり、汚水が流れていたと言われています。
お歯黒どぶには、非常用のはね橋はがありましたが、普段は上がっているので、通行することは不可能でした。
堀の内側には塀があり、3000人の遊女(女郎)がいた遊郭がありました。
ちなみに、遊郭の郭は区画をした場所の呼び名のこと。遊女のいる「廓」だから、遊廓なのですね。
逃亡した場合、捕らえられることが多く、戻された後には見せしめとして、厳しい罰が科せられたたり、その家族にたいする社会的な圧力も存在しました。
仲の町、浄念河岸(じょうねんかし)、羅生門河岸(らしょうもんかし)
大門から入った中央の「仲の町」と呼ばれる大通りは花魁道中が催されるような華やかな通りで、花魁など人気のある上級遊女を抱える女郎屋が、この通りにはありました。
反対に下級の遊女が住む女郎屋はお歯黒どぶに沿ったエリアにあり、大門は吉原の北東側にあったので、西側が浄念河岸(じょうねんかし)、反対の左側は羅生門河岸(らしょうもんかし)と呼ばれ、お客をとることがほとんどできませんでした。
第1回では、大勢の人が火事を逃れようと大門に向かって逃げているのですが、蔦屋重三郎の幼なじみの花の井(小芝風花)は反対の方向へ進んでいました。
それをみた蔦屋重三郎(横浜流星)は花の井(小芝風花)に駆け寄っていくのでした。
花の井は九朗助稲荷にいる、禿の「さくら」と「あやめ」を見つけます。
「さくら」と「あやめ」は石で作られた稲荷さん2体を守ろうとしていました。
逃げることを促すも禿の2人は「お稲荷さんが焼けたら願い事が叶わなくなる」と泣き出します。
それを見ていた、蔦屋重三郎は「燃えなければいいんだな」と狐2体をお歯黒どぶに沈めます。
「こうしておけば燃えることはねえ!」と祠を背負いながら、皆をつれて逃げ出すのでした。
蔦屋重三郎は、逃げる途中で一人の少年をみつけました。その子の近くには親の姿がなく、少年に話しかけますが返事が返ってきません。
少年は火事の衝撃で記憶がなくなってしまったようでした。
蔦屋重三郎は、その子の手を引き、一緒に連れ逃げ出しました。
身寄りがないその子を蔦屋重三郎は引き取り「唐丸」と名付けました。
【吉原の闇②】身売りをされた少女たち
禿(かむろ)とは、江戸時代の遊郭で遊女見習いとして働く幼い少女たちのことを指します。以下に詳しく説明します。
禿の定義と役割
- 年齢層
- 主に7歳から12歳前後の少女たち。
- 親の貧困や借金のために売られたり、年季奉公として遊郭に入ることが一般的でした。
- 仕事
- 上位遊女(特に花魁)の付き人として働く。「さくら」と「あやめ」は、花の井につく禿です。
- 日常業務は以下の通り:
- 遊女の身の回りの世話(着物の用意、化粧の準備など)。
- 客の接待の補助(お茶を運ぶ、煙草の用意など)。
- 遊郭内での雑務全般。
- 教育の場
- 遊郭のしきたりや礼儀作法、芸事(踊り、三味線、歌など)を学びました。
- 将来一人前の遊女になるための訓練期間とされました。
禿の服装と外見
- 禿は幼いながらも遊郭の雰囲気を漂わせる服装をしていました。
- 髪型は子どもらしい「桃割れ」や「おすべらかし」といった遊郭特有のスタイルが採用されました。
禿の未来
- 上位遊女への昇格
優れた容姿や才能が認められれば、上位の遊女(例えば花魁)への道が開かれました。 - 厳しい現実
多くの場合は、遊女として働く以外の選択肢がなく、過酷な労働環境に縛られる人生を送ることが一般的でした。
禿の象徴的な意味
- 禿は華やかな遊郭の世界の中で、未来の希望を託される存在でもありましたが、その一方で、幼い年齢で過酷な環境に置かれる彼女たちは、吉原の闇を象徴する存在でもありました。
禿は、遊郭の仕組みを支える重要な存在でありながら、貧困や社会の格差の中で犠牲となった子どもたちの象徴であるといえます。
禿の「さくら」と「あやめ」はどうして稲荷さんを守りたかったのか?
「さくら」と「あやめ」は、この吉原という特異的な空間で生きていかなければならないため、自分の幸せを願う心の拠り所として、大事な稲荷さまを守りたかったのでしょう。
そんな現実を知ることで、ドラマのなかでは、ほんの数分の一場面でしたが、少女たちの生きていくための必死さ、吉原の華やかさの裏にある悲しみを知ることがができますね。
【吉原の闇③】使えない遊女は捨てられる
ドラマのなかで、蔦屋重三郎と花の井が、幼い頃世話になった朝顔姐さんに、花の井から頼まれた弁当を蔦屋重三郎が届けに行きます。
病気がちの朝顔姐さんは、吉原のなかでも最下級に近い、浄念河岸の女郎屋、二文字屋に身を置いて暮らしていました。
そんな朝顔姐さんは、体を壊し、亡くなります。
近くの寺に衣服をはぎ取られて捨てられたのでした。
浄念河岸に追いやられた遊女は
浄念河岸に追いやられた遊女とは、吉原遊区で働いていたもの、若干の理由で遊区を去らざるを得なくなった女性たちのことです。以下がその主な背景です。
【浄念河岸に追いやられる理由】
- 病気や怪我
性病や限界的な労働による健康被害で働かなくなり、遊郭から見放された。 - 借金返済ままの失敗
借金が返済できず働けなくなり、遊郭を追放された。 - 年季奉公の終了
契約期間が終わっても行き場がなく、浄念河岸で暮らすことになった。 - 規律違反
逃亡未遂や恋愛トラブルなど、遊郭のルールに予告した結果、追い出された。
【浄念河岸での生活】
浄念河岸は、日雇いの仕事がほとんどでした。
吉原の隅で、経営をしていることもあり、安い値段で接客をしていましたが、客はほとんど来ることはなく、仕事がないので、毎日食べるものさえない日々でした。
吉原は当時、政府公認の遊郭でしたが、敷居が高くお金もかかるため、手軽に安く女遊びができる岡場所に、客をとられていました。
ドラマでも「3日のおまんま食ってない」と二文字屋の女郎たちが衰弱しているシーンや、花の井が蔦屋重三郎に届けさせたお弁当を、ほかの女郎がむさぼり食べる様子もありましたね。
【浄念河岸と浄閑寺】
浄念河岸近くの浄閑寺(投げ込み寺)は、行き場を奪った遊女たちの思いを供養する寺でした。
無縁仏として埋葬されることが多く、浄念河岸は吉原の闇を象徴する場所であるともいえます。
浄念河岸は、吉原の厳しいシステムから脱落した遊女たちがたどり着く悲しい終着点でした。
社会的な差別や偏見に苦しむ彼女たちの姿は、吉原の光と影を物語る象徴的な存在です。
【裸体を演じたのは誰?】
朝顔姐さんこと愛希れいかさんが、第1回で去ってしまいました。
現役の女優さんの後ろ姿とはいえ裸体、この体当たりの演技に愛希れいかさんの本気度が伝わってきましたね。
でもね、うつぶせで地べたに放置された裸の死体は4体ありました。
他3人は現役のセクシー女優を起用したとか。
吉高寧々さん、藤かなさん、与田りんさんの名前が登場していました。
女性の後頭部、背中、尻までしっかり分かる引きの画角から一転、死体の背中がどアップで映される場面もあった。
このシーンは家でテレビを見ていた私もドキドキしてしまいました。
は・だ・か が写っているのですからっ‼
Xでは「今年の大河、NHKに本気度を感じた」「2年連続で戦の無い時代を描く大河ドラマになる この作品も面白い作品になりそうだ」「今回の大河はなかなか攻めた作品だな」などの反応がありました。
まとめ
吉原遊郭は、江戸の華やかな文化や芸術、人々の楽しみを支えた時代でした。
しかし、その美しさの裏には、たくさんの闇が隠れていました。
女性たちは、自由を奪われたまま、限界を超えるような働き方をしていました。
逃げ出すこともできず、孤独で苦しい世界の中で生きなければならなかったのです。
歴史とその当時の背景を知ってドラマをみると、少しの場面でさえ、すごく当時の出来事を大事にして脚本やストーリーが作られていることを感じることができます。
第1回では、亡くなってしまった朝顔姐さんのような女郎がいなくなるよう。蔦屋重三郎が奮闘する様子も描かれています。
それはまた、別の記事で書いていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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