寛一郎の学歴や父・佐藤浩市との関係は?大河『べらぼう』出演で注目の俳優

べらぼう

寛一郎さんは、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に富本午之助役で出演することが決定しました。

寛一郎(かんいちろう)さんの、父は佐藤浩市さんのであり、祖父は三國連太郎さんという俳優一家。

この記事では、寛一郎さんの生い立ちや学歴、俳優としての歩み、佐藤浩市さんとの親子関係について調べていこうと思います。

寛一郎(かんいちろう)プロフィール

ドラマ『グランメゾン東京』、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』などさまざまな話題作に出演している寛一郎さんの経歴を紹介!

寛一郎(かんいちろう)プロフィール

・生年月日: 1996年8月16日
・出身地: 東京都
・身長: 182.0cm
・血液型: A型
・星座: しし座
・所属事務所: ユマニテ

寛一郎(かんいちろう)の名前は本名で、予定日の2か月早く1600gの未熟児として生まれたことから、大きく伸び伸びと育ってほしいという願いを込めて名付けられました。

1600gで生まれて、ご家族は心配だったでしょうね。

それでも、グングンと182㎝まで伸びてうらやましい限り。ウチのにも身長わけてほしいくらい。

父の佐藤浩市さんは身長を182㎝と公表されているので、小さく生まれても、将来の身長にはあまり影響しないようですね。

遺伝子大事⁉

ちなみに祖父の三國連太郎さんは178㎝だったようです。

寛一郎の学歴:どんな学校に通っていたのか?

寛一郎さんの出身校は、私立の共学校の成城学園です。

この学校は東京都世田谷区にあります。

成城学園の特徴として、幼稚園から大学まで同じキャンパスで学ぶ全世代一体型の学園であり、約8000人の学生が在籍しています。

寛一郎さんは幼稚園から高校までエスカレーター式に進学。

成城学園は「自由と個性尊重」を理念とし、芸能活動と学業の両立を支援する校風があり、多くの卒業生が芸能界で活躍しています。

<成城学園卒業の芸能人>

高嶋政宏、高嶋政伸、及川光博、小澤征悦、石黒賢、三浦貴大、山口もえ、森山良子、森山直太朗、小宮山雄飛(ホフディラン)、武藤十夢(AKB48メンバー、気象予報士)

18歳のときに、俳優になることを決意し、大学へは進学していません。

中学生時代はバスケットボール部に入っていたようですが、高校時代は、映画を見たり、ゲームをしたりしていました。

音楽、特にロックが好きで、洋楽邦楽問わず様々な音楽を聴いていました。

寛一郎さんは、何かに特別打ち込むというよりも、映画、音楽、ゲームなどの趣味を楽しみながら、普通の学生生活を送っていたようです。

俳優・寛一郎のキャリアと転機

2017年に俳優としてデビューしました。

実際に初めて演技をしたのは2016年秋に撮影された映画『菊とギロチン』でした。その後、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』での演技が評価され、キャリアを築いていきました。

俳優デビューのきっかけ

寛一郎さんは、18歳の時に俳優になる決意をされたとか。

父親の職業を身近に感じ、映画もよく観ていたし、撮影の現場にも連れて行ってもらって俳優という仕事が身近に感じていたそうです。

俳優になると決めたのは誰かに何かを言われたとか、とくに大きな出来事があったわけではなく、思春期を経て、将来を考え始めた時期で、そんななかでそういう決断をしましたと、主演映画『シサム』のときのインタビューで答えています。
ただ、父親に「俳優になる」と伝えるのにはやはり勇気が必要だったようです。
お父様は「まあ、そうか」とひと言だけ返してくれました。

お父さまは言葉かず少ない反応だったかもしれませんが、最愛の息子が、自分の背中をみて同じ職業を選んで挑戦してくれていることに、きっと喜びを感じているのではないでしょうか。

寛一郎の出演作品

寛一郎の主な出演作品は以下の通りです。

映画
「グランメゾン・パリ」(2024年12月30日公開)
「シサㇺ」(2024年9月13日公開) – 主演・高坂孝二郎役
「ナミビアの砂漠」(2024年9月6日公開予定)
「プロミスト・ランド」(2024年6月29日公開) – 主演・礼二郎役
「身代わり忠臣蔵」(2024年2月9日公開)
「首」(2023年11月23日公開)
「せかいのおきく」(2023年4月28日公開)
「月の満ち欠け」(2022年12月2日公開)

テレビドラマ
「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(2025年放送予定) – 富本午之助役
「鎌倉殿の13人」(2022年) – 公暁役
「プリズム」(2022年)
「ゴシップ#彼女が知りたい本当の○○」(2022年)
「グランメゾン東京」(2019年)

寛一郎は2017年に俳優デビューして以来、映画やテレビドラマで着実にキャリアを積み重ねています。

特に近年は主演作品も増えており、今後の活躍が期待されています。

寛一郎 大河ドラマ『べらぼう』での役どころ

寛一郎さんは、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に富本午之助役で出演することが決定しました。

富本午之助は、富本節の二代目で、別名「馬面太夫」として知られる人物です。

寛一郎さんが演じる富本午之助の特徴
 蔦重(横浜流星)が接触を試みる富本の二代目。
美声の持ち主で、江戸中を魅了した。
富本豊前掾を父に持ち、二代目富本豊前太夫を称する。

寛一郎さんは役作りについて以下のようにコメントしています。
歌舞伎の太夫というスター的ポジションを演じることに興味を持った。
扮装や歌稽古など、先生方の指導を受けながら役を作り上げた。
太夫の歌の難しさを実感しつつ、精一杯演じた。

寛一郎さんはこの役を通して、江戸時代の文化の中核であった歌舞伎を体験する貴重な機会を得られたことと思います。

この体験を機に、これからの寛一郎さんの演技に深みが出てくることを期待したいですね。

寛一郎(かんいちろう)の家族は?俳優になる運命だった

寛一郎さんの家族を見てみましょう。

寛一郎(かんいちろう)の祖父は?

寛一郎さんの祖父は三國連太郎(みくにれんたろう)さんです。

三國連太郎さんは1923年1月20日に群馬県で生まれ、 2013年4月14日、90歳でこの世を去っています。

三國連太郎さんは、映画『善魔』で主演デビューしました。

翌年ブルーリボン賞新人賞を受賞。『ビルマの竪琴』『飢餓海峡』『八甲田山』『復讐するはわれにあり』など数々の名作に出演しています。

1988年から始まった『釣りバカ日誌』では、それまでの重厚なイメージとは異なる「スーさん」役でコメディに挑戦し、西田敏行との名コンビで人気を博しました。

また、三國連太郎さんは、俳優活動のかたわら、書画や仏教研究にも取り組み、1986年には映画『親鸞・白い道』で監督・原作を務め、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞しています。

2012年の遺作『わが母の記』までに183本の映画に出演しました。

寛一郎さんのおじいさんは、日本の映画界に大きな功績を残した名俳優さんでしたね。

『釣りバカ日誌』のスーさん(三國連太郎さん)と、釣り仲間である浜崎伝助(西田敏行さん)との掛け合いが面白く、二人の掛け合いは『釣りバカ日誌』の名場面だったように思います。

寛一郎(かんいちろう)の父は?

寛一郎さんの父は佐藤浩市(さとうこういち)さんです。

1960年12月10日生まれ、東京都出身です。

佐藤浩市さんは、1980年に俳優デビュー後、数々の映画やTVドラマに出演し、『忠臣蔵外伝四谷怪談』、『64‐ロクヨン‐前編』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しています。

近年の作品は、MIRRORLIARFILMSSeason2『IMPERIAL 大阪堂島出入橋』『20 歳のソウル』『キングダム 2 遥かなる大地へ』、『ファミリア』『ネメシス黄金螺旋の謎』『仕掛人・藤枝梅安 2』『せかいのおきく』『大名倒産』『キングダム運命の炎』として『愛にイナズマ』があります。

寛一郎さんのおじいさんにつづき、お父さんも日本の映画界を背負う名俳優ですね。

佐藤浩市さんと三國連太郎さんの親子関係は確執があると言われていた時期がありました。

テレビ番組で、佐藤浩市さんはそのことについて、1987年の映画「人間の約束」で親子初共演を果たして以降、10年近くも再共演がなかったことに触れ、「共演しないから『あの親子は仲が悪い』と言われ出したんです」と回想。

「なぜ一緒にやらなかったかというと、自分たちで勝手にハードルを上げちゃっていたんです」と明かしています。

佐藤浩市さんは、父である三國連太郎さんの影響を強く受けながらも、自分の力で俳優としてのキャリアをしっかりと果たしました。

寛一郎(かんいちろう)の母親は誰?

寛一郎さんの母親は広田亜矢子さんです。現在は佐藤浩市さんとご結婚されたので佐藤亜矢子さんです。

寛一郎さんの母(佐藤亜矢子)さんは舞台俳優として活動していました。

佐藤浩市さんとの結婚は1993年です。当時の浩市さんは業界でも“けんかっ早い俳優”という評判もあり低迷期でしたが、亜矢子さんは「家庭を守ってほしい」という彼の願いを聞き入れ、舞台女優を引退しています。

佐藤浩市さんは、再婚になりますが、寛一郎さんは亜矢子さんとの間にできたお子さんです。

佐藤亜矢子さんは6年以上前から、『里親制度』を活用し続けています。

里親制度とは、乳児院や児童養護施設の子供たちを週末や夏休みなどの間に預かるもので、東京都では「フレンドホーム」と呼んでいます。

親というよりはおじさん、おばさん的な立ち位置で子供たちと接し、1週間ほど預かるケースが多いようです。

寛一郎さんが自立されて、里親制度など社会貢献活動をされていることに、頭が下がる思いです。

自分の子育てがひと段落したら、そのような活動をしてみたいと思いました。

里親制度と聞くと、預かった子を育てるというイメージがあったのですが、「フレンドホーム」のように、短期での活動もあるのですね。

寛一郎(かんいちろう)のまとめ

華麗なる遺伝子を受け継いでいる寛一郎さんですが、寛一郎さん自身は「親の七光り」に頼らず、自らの意志で俳優の道を選び、「二世俳優」としてのネームバリューに頼ることなく、自身の演技力でしっかりとキャリアを積み上げるまで、家族のことを公表せず仕事に打ち込んできました。

寛一郎さん、これからも多くの作品に出演して、これからの日本を代表する俳優になってほしいです。

これからも応援していきたいです。

 

 

 

 

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7. まとめ

  • 寛一郎さんは、名俳優の家系に生まれながらも独自の道を切り開いている
  • 『べらぼう』での活躍をきっかけに、さらに注目が集まる可能性が高い
  • 今後の出演作品や活動にも期待!

富本午之助は、富本節の二代目で、別名「馬面太夫」として知られる人物です。

務所にも所属せずに活動をスタートさせたといわれています。

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kuromi

大河ドラマが好きなアラフィフのブロガーです。
子どもに少しでも歴史に興味をもってもらいと思い一緒に見始めました。
このブロクでは、ストーリーや歴史的背景などを解説し、大河ドラマがより一層楽しく見ることができる情報を発信しています。

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