大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』蔦屋重三郎と江戸の文化を知る

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江戸時代、日本の町にはたくさんの人が集まり、にぎやかで楽しい文化がありました。

その時代に、本や絵を広め、江戸の人々に楽しみを届けたのが「蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)」です。

2025年の大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』は、この重三郎と江戸の町人たちの暮らしを描いています。今回は、このドラマを通して、江戸時代の人々がどんなふうに過ごしていたのかを見てみましょう!

べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~の舞台、江戸時代とは?

およそ260年続いたといわれる江戸時代について探っていきたいと思います。

江戸時代ってどんな時代?

江戸時代には、将軍を中心にした「幕府(ばくふ)」という政府があり、日本全国を統治していました。この時代の政策は、人々の暮らしや文化に大きな影響を与えました。いくつかの代表的な政策を紹介しますね。

鎖国(さこく)

鎖国とは、外国との交流を制限し、日本を外の世界から閉ざすようにした政策です。具体的には、オランダや中国、一部の朝鮮(ちょうせん)の国など、限られた国だけが貿易(ぼうえき)を許されていました。

この政策には、キリスト教の影響を避けることや、国内の安定を保つことが目的でした。鎖国のおかげで、日本の独自の文化が発展し、江戸時代特有の町人文化が生まれました。

参勤交代(さんきんこうたい)

参勤交代は、大名(だいみょう)と呼ばれる各地の領主が、自分の領地と江戸を交互に行き来する制度です。大名は1年おきに江戸に行き、一定期間を過ごしました。

大名たちが江戸にいる間、自分の領地から離れるため、反乱などを防ぐ効果がありました。

また、行き来にかかる費用がかかるため、大名たちがあまりお金をため込むことができず、幕府に対して対抗する力を抑えることができたのです。

五人組(ごにんぐみ)

五人組は、5つの家族がまとまって生活し、助け合い、責任を分かち合う制度です。もし誰かがルールを破った場合、他の家族も責任を取らなければならないというものでした。

これにより、地域での犯罪やトラブルを防ぎ、秩序(ちつじょ)を守ることができました。五人組のおかげで、地域の人々が協力し、助け合う社会が築かれたのです。

宗教の制限

江戸時代では、キリスト教が禁止されていました。人々は仏教や神道(しんとう)を信じることを求められ、「寺請制度(てらうけせいど)」といって、仏教のお寺でどの家族が仏教を信じているかを確認する制度がありました。

キリスト教が広がることで幕府の権力が揺らぐことを恐れて、仏教や神道を信仰させることで国をまとめようとしたのです。

農業の発展

江戸時代では、農業が非常に重要視されました。米は当時のお金のようなもので、農業が国の経済を支えていたためです。

新しい農業の方法が工夫され、米の生産量が増えたことで、町や都市も発展しました。

米をたくさん生産することで、江戸の町人や大名たちが生活できるようになり、また余った米を商売に使うことで、経済が回るようにしました。

これらの政策のおかげで、江戸時代は約260年もの間、戦争がなく、平和で安定した時代が続きました。

さまざまな職業の人たちが集まり、商売やお祭りが盛んに行われていました。また、独自の文化や伝統が育ち、浮世絵や歌舞伎(かぶき)など、町人たちの楽しみがどんどん生まれていきました。

江戸時代の政策は、現代まで受け継がれている日本の文化に大きな影響を与えたんですね。

「江戸」の町の人々のくらし

町の人々の生活

江戸時代の町では、たくさんの町人が商売をして生活していました。お店を開いて商売をしたり、物を売ったりする人々が多く、町のいたるところに「屋台」や「露店(ろてん)」がありました。

江戸の人々は、そこでお菓子やおもちゃ、食べ物などを買いながら楽しんでいました。

興味を引くエピソード

そんな江戸の町には、本や絵を広めようとした「蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)」という人がいました。

蔦屋重三郎はただの本屋さんではなく、「みんなに面白い本や絵を楽しんでもらいたい!」という強い思いで、いろいろな工夫をしていました。

蔦屋重三郎は、今でいう出版社の社長のような存在で、さまざまな本や絵を江戸の人々に広めていました。

最初は「貸本屋(かしほんや)」として本を貸す仕事をしていた彼ですが、もっと多くの人に見せたいと思い、自分で本や絵を作る仕事も始めました。

商業の発展

江戸や大阪といった大きな町は、商業や流通の中心地となっており、全国からさまざまな物が集まってきました。

お米や布、日用品だけでなく、贅沢品(ぜいたくひん)や美しい浮世絵(うきよえ)も売られるようになり、人々の生活は豊かになっていきました。

べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~の主人公、蔦屋重三郎の生い立ち

蔦屋重三郎はどのようにして誕生したのでしょうか。蔦屋重三郎の生き方を深堀していこうと思います。

蔦屋重三郎の生い立ちと若いころ

蔦屋重三郎の生い立ち

生まれ:蔦屋重三郎は、1750年頃(正確な生年は不明)に伊勢国(今の三重県)の松坂という町に生まれました。彼の実家は裕福ではなく、子どものころから生活には困っていたようです。

奉公(ほうこう)に出る:生活が苦しかったため、蔦屋重三郎は幼いころに江戸に出て、奉公人として働き始めました。

奉公とは、当時の子どもたちが生活のために他人の家やお店で働くことをいいます。江戸でさまざまな仕事を経験し、そこで商売のやり方や町の文化について学んでいきました。

蔦屋重三郎が本と出会い本屋を開くまで

本や絵への興味:奉公生活を送る中で、蔦屋重三郎は江戸の本屋や貸本屋に出入りするようになり、本や浮世絵の魅力に惹かれていきました。

当時の江戸では、貸本屋が多くあり、町の人々が本や絵を楽しんでいたため、彼もその楽しさに引き込まれていきます。

貸本屋としてのスタート:蔦屋重三郎は、自分でも本を貸し出す仕事をしてみたいと考え、少しずつ本を集めて貸本屋を始めるようになりました。

彼はお金がなかったため、少しずつ本を増やしながら、町の人たちに楽しんでもらえる本を提供していきました。

出版人として成功をおさめる蔦屋重三郎

  • 出版業への進出:蔦屋重三郎は、貸本屋として本を貸し出すだけでなく、「もっと面白い本や絵を作りたい」と考え、やがて自分で本を作って売る「出版人」へと成長していきました。
  • 彼は新しい作品や浮世絵をたくさんの人に広めたいという強い思いを持っていました。
  • 芸術家との協力:蔦屋重三郎は、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や葛飾北斎(かつしかほくさい)といった才能ある絵師を見出し、彼らと協力して浮世絵や本を次々に発表しました。これにより、江戸の町で人気を集め、蔦屋重三郎の名前は広く知られるようになりました。

蔦屋重三郎の生い立ちは、苦しい中で始まりましたが、本や浮世絵に対する情熱と努力によって、彼は江戸の文化を象徴する人物となりました。

その活動によって、江戸時代の人々はより豊かで楽しい文化を享受でき、今でも蔦屋重三郎は「江戸の出版王」として語り継がれています。

私たちが、現在こうして当たり前のように書店に行き、好きな本を購入できるのも、このころの蔦屋重三郎の活躍が影響しているのですね。

 蔦屋重三郎も貢献した江戸の庶民文化

江戸時代の庶民文化は、町の人たちが生活を楽しむために作り上げたものでした。歌舞伎や浮世絵、銭湯やお祭りなど、どれも町の人々の暮らしに根ざしていて、今でも残っているものがたくさんあります。

こうした庶民文化のおかげで、江戸の町はいつも活気にあふれ、みんなが楽しめる時代だったのです。以下に、庶民文化を紹介します。

歌舞伎(かぶき)

歌舞伎は、町の人々が楽しむための劇で、舞台で行われるお芝居です。豪華な衣装や、派手な化粧をした役者が演じる迫力満点の演技が特徴です。

侍や美しい女性、悪役などさまざまなキャラクターが登場し、ストーリーもわかりやすく、みんなが楽しめる内容でした。町の人たちは歌舞伎を観るのを楽しみにしていて、劇場はいつもにぎわっていました。

歌舞伎で活躍した有名な役者には、市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)や坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)、中村勘三郎(なかむらかんざぶろう)といった名前があげられます

浮世絵(うきよえ)

浮世絵は、町人たちの生活や風景、人気の美人や役者などを描いた絵です。木版画(もくはんが)でたくさん刷る(す)ことができるため、手軽に買うことができました。

浮世絵は、現代でいう「写真」のように、日常の風景や流行の美人・役者を描いたもので、町の人々にとって身近な存在でした。

また、旅先の名所(めいしょ)や、自然の美しい風景を描いた浮世絵も人気があり、当時の江戸の人々が簡単に手に入れられる「アート」だったのです。

浮世絵で活躍した有名な絵師には、葛飾北斎(かつしかほくさい)喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)といった人物がいます。彼らの作品は江戸の人々に愛され、今でも日本の美術の象徴として世界中に知られています。

 銭湯(せんとう)

銭湯は、町人たちが日々の疲れを癒すために利用したお風呂です。家にお風呂がない人も多かったため、銭湯は大切な場所でした。男女が一緒に入る「混浴(こんよく)」も一般的でした。

銭湯は、ただお風呂に入るだけでなく、近所の人と話をしたり、交流する場所でもありました。町の人たちにとって、銭湯は心も体もリフレッシュできる大切な場所だったのです。

江戸時代の銭湯に関わった有名な人物としては、笹屋三右衛門(ささやさんえもん)が知られています。彼は、江戸で銭湯を経営し、銭湯文化を広めた重要な人物です。

 祭り(まつり)

内容:江戸時代には、地域ごとに季節のお祭りがあり、町の人々が楽しみにしていました。お神輿(みこし)をかついで練り歩いたり、屋台でお菓子やおもちゃを買ったり、歌や踊りを披露したりしました。

人気の理由:お祭りは、日常生活の中で楽しみを持つためのイベントでした。普段の仕事や生活から少し離れて、みんなで楽しむお祭りは町の人々の大切な楽しみで、屋台(やたい)やゲームも人気がありました。

読書と貸本屋(かしほんや)

江戸時代、物語や知識を求めて本を読むことも庶民の楽しみでした。本は高価だったため、貸本屋という、本を貸し出すお店が多くありました。

物語や歴史の本、時にはちょっと怖い怪談話など、さまざまな本がありました。貸本屋のおかげで、町人たちは気軽に本を借りて読むことができました。

江戸時代に読書文化や貸本屋で活躍した人物としては、蔦屋重三郎のほかに耕書堂(こうしょどう)山東京伝(さんとうきょうでん)が挙げられます。

彼らは、物語や知識を提供することで庶民の読書文化を支え、楽しみを広めました。

俳句(はいく)や川柳(せんりゅう)

俳句や川柳は、短い言葉で日常の風景や心の中の思いを表現する遊びです。俳句は季節の美しさや感情を伝え、川柳はちょっと笑えることや皮肉(ひにく)を表現しました。

簡単に作れるため、気軽に楽しむことができました。庶民が自分の感じたことや日常を言葉にして楽しむ「文芸(ぶんげい)」として、広く親しまれていました。

江戸時代に俳句や川柳で活躍した有名な人物としては、松尾芭蕉(まつおばしょう)や与謝蕪村(よさぶそん)、そして*柄井川柳(からいせんりゅう)がいます。彼らはそれぞれのスタイルで庶民の文芸を盛り上げ、今でも日本の詩として親しまれています。

大河ドラマ「べらぼう」で蔦屋重三郎が生きた江戸時代についてのまとめ

江戸時代は内閣の体制が整い平和な世の中であった

  • 江戸は「泰平の世」と呼ばれ、戦乱時代が少なく平和が続きました。
  • 藩に分けられ、それぞれの大名が統治する「幕藩体制」が確立しました。
  • 町人文化が発展する基盤ができ経済が安定していた。
  • 江戸、大阪、京都の「三都」を中心に都市経済が発展した。 特に江戸は、日本全国から物資が集まる物流の拠点となり、商人や町大坂は「天下の台所」と称され、米を中心とする商取引が行われていました。

蔦屋重三郎が残したもの

江戸文化の発展:蔦屋重三郎は、貸本屋から出版人として成功し、江戸の人々にとって身近で楽しめる文化を提供しました。

彼が出版した浮世絵や物語本は、今も日本文化として大切にされています。

信念:蔦屋重三郎は「たくさんの人に楽しみを届けたい」という信念を持ち続け、経済的に苦しいときでも、新しいアイデアで多くの人を喜ばせる作品を生み出し続けました。

大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』を通じて

歴史の教科書では、その時代の代表的な出来事が断片的にとらえられていたということに、私自身が気づかされました。

ただ、その時代で起こった出来事を暗記していただけで、江戸時代の町人の生活の様子を知ることも興味をもつこともありませんでした。

このドラマを通じて、江戸の町がどれだけにぎやかで面白いところだったのか楽しんで見ていきたいと思います。

本が庶民に身近になっていったことで、さまざまな人が教養を得て学問が広がっていき、今の日本があるのだとわかりました。

蔦屋重三郎のように、自分の信念を持って挑戦し続ける姿が、今でも私たちに元気を与えてくれます。これからの物語が楽しみですね。

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