大河『べらぼう』花の井(五代目瀬川)は鳥山検校の身請けで幸せになれたのか?

べらぼう

花の井(五代目瀬川)は江戸時代の吉原で名を馳せた遊女です。

大河ドラマ『べらぼう』では、花の井が蔦屋重三郎の本の出版を助けるために、5代目瀬川を襲名することを決意していましたね。

そんな花の井(5代目瀬川)と蔦屋重三郎との関係性について、鳥山検校に身請けされたこと。

花の井(5代目瀬川)その生涯について、大河ドラマ『べらぼう』での描かれ方を詳しく見ていきたいと思います。

花の井(五代目瀬川)が誕生するまで

「松葉屋の瀬川」という妓名は吉原の中でも、特に有名な遊女の名前として伝わっており様々な逸話が残されています。

花の井が襲名した瀬川とは

瀬川とは1人の人物によるものではなく、松葉屋の名跡として、代々使われている妓名です。
歴代瀬川の在籍した松葉屋は、古代将軍徳川綱吉の時代には、すでに吉原で営業していました。
しかし、はじめ「から大名跡の瀬川が在籍するような高級点ではなく、下級の遊女が在籍する格式の低い店だったようです。
松葉屋に瀬川の名が確認できるのは、蔦屋重三郎が生まれる22年前の1728年頃からで、これが2代目瀬川に当たります。
2代目瀬川は禿が1人しかつかない中堅遊女の座敷持ちで、トップクラスの花魁ではあり
ませんでした。
それでも吉原では有名な遊女だったらしく、年季明け間近まで、長年に渡って松葉屋にて遊女の仕事をしていましたが、周りに比べて年を取っていたことから、見た目はいいが少し派手だ、年相応にした方がいいと遊女評判記には書かれてしまっています。
1736年まで遊女を続けていたことが確認できる2代目から、10年以上が経ち、1749年に3代目瀬川が登場します。
3代目瀬川は、その美貌だけでなく、字もうまく、茶の湯や和歌といった教養も持ち合わせる才色兼備の遊女でかなりの人気だったようです。
3代目瀬川は、デビューから6年後の1755年には、商人の江市屋宗助に身請けされていますが、実際は大名家の家老が身請けしたとされています。
この3代目瀬川によって、は松葉屋の第一の名跡となりました。
4代目瀬川は、3代目が身請けされた翌年の1756年にデビューします。2年後の1758年には松葉屋でもトップの遊女となりますが、その年の3月25日に19歳の若さで自害してしまいます。

ドラマのなかでも、4代目瀬川の自害について触れられていましたね。

気の進まない身請けを、半ば強制的にさせたから?と大河ドラマ「べらぼう」ではなっているようですね。

4代目瀬川の自害が影響したか、しばらく瀬川の名跡は途絶えてしまいます。
それから17年後、1775年の蔦屋重三郎が出版した吉原細見「籬の花」で、5代目瀬川が松葉屋から久々に登場しました。

花の井(5代目瀬川)の幼少期

花の井は子どものころ両親に捨てられました。

その後、吉原の老舗妓楼「松葉屋」に引き取られ、育てられます。

松葉屋で非常に高度な教育を受けました。この教育は単なる美しさだけでなく、教養や芸事の習得を重視したものでした。

松葉屋での教育を通じて、花の井は持ち前の美貌と才能を発揮しました。

大河ドラマ「べらぼう」の設定では、花の井は松葉屋で蔦屋重三郎と共に育ち、幼なじみとなったとされています。

花の井の幼少期は、不遇な境遇から始まりましたが、松葉屋での教育を通じて才能を開花させる基礎を築いた時期だったと言えるでしょう。

大河ドラマ『べらぼう』の設定では、花の井は、自分と同じ境遇で、小さいころに親に捨てすてられた蔦屋重三郎とともに育ち、幼なじみの関係と描かれています。

吉原の遊女としての活躍する花の井(5代目瀬川)

吉原は江戸の遊郭として栄え、多くの文化人や著名人が訪れる場所でした。

花の井(5代目瀬川)は、見た目の美しさだけでなく、和歌や書道の才能も評価されていました。

それらの才能が認められ、老舗女郎屋、松葉屋の遊女「瀬川」の名跡を継ぐことになります。

花の井が「瀬川」の名を継ぐと、その人気は加速し、「瀬川」に一目会いたいという客が急増しました。

その人気の様子は、当時の書物にもその名が記されています。

花の井(5代目瀬川)鳥山検校の身請けとその後の人生

花の井(5代目瀬川)は、盲目の、鳥山検校に身請けされ、遊郭を離れます。

身請けとは、裕福な商人や文化人が遊女に対して多額の金銭を支払い、自由の身とする制度です。

鳥山検校は吉原の常連客だった

鳥山検校は盲人に与えられる最高位の役職についた、この時代の有名な盲人の学者です。
鳥山検校は吉原の常連客でした。
莫大な財をもつ鳥山検校は、毎日のように吉原を訪れて豪遊していたという記録があります。

当時、吉原は文化人や経済人の社交の場としての役割もあったといわれているので、鳥山検校は、花魁との知的な会話が魅力的で楽しいものだったのかも知れませんね。

鳥山瀬川事件‼鳥山検校に身請けされる

鳥山検校は単に吉原で遊んでいただけでなく、その経済的・社会的影響力を示す場としても吉原を頻繁に利用していました。

その、大富豪の鳥山検校が、この花の井にぞっこんとなり、花の井(5代目瀬川)を身請けしたいと。

鳥山検校は、花の井(5代目瀬川)を落籍するために、およそ1400両。現在の貨幣価値にすれば、約1億4000万円を積み身請けをします。
この破格の高額な金額は、江戸中に大きな話題となり、鳥山瀬川事件と呼ばれるようになりました。

鳥山検校の身請けされたあとの花の井(5代目瀬川)は

5代目瀬川が鳥山検校のもとで送った生活は、華やかさの裏に不幸せな側面があったのではないでしょうか。

鳥山検校には正妻がいましたので、花の井(5代目瀬川)は、妾として迎えられます。

鳥山検校は悪徳高利貸しとして知られており、その財力は非道な取り立てによるものでした。

花の井(5代目瀬川)にとって、自分が身請けされたお金や生活が、人を苦しめて取り立てたものからなっていると考えると、とても心苦しいものがあったのではないでしょうか。

花の井(5代目瀬川)と鳥山検校との生活は長く続きませんでした。

身請けからわずか3年後の1778年(安永7年)に、鳥山検校の悪事が発覚します。

幕府は鳥山検校の財産を没収し、鳥山検校は、江戸から追放されました。

この突然の転落により、瀬川も再び不安定な生活を強いられることになりました。

鳥山検校との生活の詳細は明確にはわかっていません。

しかし、花の井(5代目瀬川)は、豪勢な暮らしができたとしても、心は満たされていなかった可能性が高いのではないでしょうか。

そして、突然の鳥山検校の失脚で、花の井(5代目瀬川)は再び不安定な生活を強いられることになったことでしょう。

鳥山検校と花の井(5代目瀬川)のその後

鳥山検校との関係が終わった後の花の井(5代目瀬川)については、いくつかの諸説が言い伝えられています。

武士の妻になったという説や、大工の妻として静かな余生を送ったという説ですが、明確なことはわかっていません。

また、花の井(5代目瀬川)の没年や最期についての明確な記録は残されていないようです。

江戸文学への影響をおよぼした鳥山検校と花の井(5代目瀬川)

『契情買虎之巻』(けいせいかいとらのまき)

1778年(安永7年)に戯作者・田螺金魚によって刊行された洒落本です。

洒落本とは、遊女と遊客の言動を写実的に描いた物語です。

契情買虎之巻は、高利貸しの鳥山検校が吉原松葉屋の遊女五代目瀬川(花の井)を身請けした実際の出来事「鳥山瀬川事件」を題材として書かれました。

この作品は、後の人情本に大きな影響を与え、「人情本の祖」とも評されています。

『契情買虎之巻』の成功により、続編や派生作品も生まれるほどの人気となりました。

契情買虎之巻によって、現代の私たちが、遊郭の文化や、江戸時代の遊里文化を知るための貴重な記録となったんだね。

契情買虎之巻の内容は、五代目瀬川を主人公とした悲しい恋の物語で、江戸庶民に広く受け入れられました。

花の井(五代目瀬川)の生涯、特にその後の半生は謎に包まれていますが、彼女の波乱に満ちた人生は、江戸時代の遊女の儚さと力強さを象徴するものとして、現在も語り継がれています。

まとめ:花の井(5代目瀬川)は鳥山検校の身請けで幸せになれたのか

この時代、遊郭で働く遊女は幼いころ、両親から身売りされてきました。

吉原で大勢の男性相手をし、途中、性病や感染症で亡くなる人も珍しくありませんでした。

吉原に一度入れられてしまったら、身請けされる以外に吉原から出て、普通の暮らしをする道がなかったので、鳥山検校に身請けされて、吉原ではない場所で生活できたという視点からみると、花の井(5代目瀬川)は幸せであったと思います。

しかし、遊女は身請けの相手を選ぶことはできないので、恋愛の自由はなかったのではないでしょうか。

ドラマの中でも、蔦屋重三郎と花の井(5代目瀬川)がお互いの気持ちに気づかされ、身請けに迷うシーンがありましたね。

鳥山検校の身請けは、表面的な華やかさとは裏腹に、花の井(5代目瀬川)にとっては、幸せをもたらすものではなく、むしろ波乱に満ちた人生の一幕だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

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